その日、西日の陰る休憩室には三人の人影があった。沢尻悠は珍しく緊張した面持ちでデスクに腰掛け、山吹薫は額に手を当てため息をつく。そしてその巨大な体で西日を遮るように岩水静は腕を組んで、むぅと鼻息を鳴らす。
なんだここは、客人に茶の一つでも出んのか?
そんなに茶が飲みたいのなら自分で淹れてください・・・
ちょっ薫さん!何すか!?この巨大な人は!
訪問リハビリの岩水さんだ。まぁ俺の先輩だよ。昔のな・・
岩水と再会してからたまにこうやって彼は休憩室を訪れる。まったくこの人は暇なんじゃないかと山吹は視線をドアに逸らす。するとドアがゆっくりと開いた。
百合ーいるー?ってデッカ!・・・いやすんません。白波と同期の坪井咲夜と言います。ええと・・・うちの職員さんじゃないやんな?
おぉ!あのお嬢さんのご友人か!訪問リハビリの岩水静だ。君もまたこの痩せっぽっちな山吹の後輩か?世話をかけるな。
いいえいいえ、仰る通りウチらの方が世話を焼いてるくらいで。
なんだそれは?岩水さんは今度退院される患者様のカンファレンスで来られているんだ。退院後の褥瘡対策にな。
そうそうー。そして回復期ではオレが受け持ってたから此処に居るわけなんだけど、薫さんの先輩は超絶美人だって思ってたから、まさかこんな・・・
と向けられた視線を吹き飛ばすかのように、がっはっは!と体を震わせて岩水は笑う。この人もまた何にも変わらない山吹はそう思う。
そしてその褥瘡対策なんですが・・・ふむ。咲夜君。褥瘡とはなんだ?
!?まぁいきなりやな!!まぁええけど、おっきな先輩の先輩!なんかあったら遠慮なく言うてくださいなー。褥瘡とは一般的には床ずれと呼ばれる状態の事やな。多くは寝たきりなんかで体が圧迫されている場所の血流が悪くなったり、滞って赤みを帯びたりひどい時には爛れてしまう。そういう事やな!
ふむ!さすがおのお嬢さんのご友人だよく勉強しておる!そしてなぜ圧迫にてそうなるのだね?沢尻君!
この無駄な迫力ななんなんだろうね・・・普段オレらは同じ姿勢を続ける事は出来ないよね?体が自然と姿勢を変える。寝ている時にも寝返りという形で自然と圧が一部分に掛かりすぎないように除圧する。だけどもそれすら難しい人の体の一部分が常に圧迫されると、まずそれ自体が体に対するストレスになるよね?そして血流が減少するとそれはつまり局所的な虚血が生じてしまう。そうすると必要な酸素や栄養が滞りストレスは徐々に進行して赤みを帯びる、そして潰瘍や傷となり、ひどい時には骨まで達する。在宅生活での大きな問題点の一つとも言える病態ですね。
その答えに満足したのか岩水はふむ!と大きく頷いてみせる。いつしかもう過去だと思っていた人たちも今は僕の周りに居ると山吹は思う。そしてこの人もまたかつての救急科から一歩先に進んだ人だ。僕とは違って・・・
そうだな。必ずしも寝たきりに近い状態の人が起こる訳ではないがな。座っていてもそれは起きる。さてどこにだろうかね?
それは仰向きの状態なら後頭部や肩甲骨の部分、そして仙骨部や踵ですね。横向きなら耳や肩、肘や腰骨の部分膝や踵ですよ。
それに座っていたら、特にお尻が痩せてきた人は坐骨や尾てい骨の所にも出来たりすんなぁ。座れているからと言って立ったり動いたり出来るとも限らへんからな。そこもリスクや。
そうだねー。でもやっぱりずっとベッド上にいて、自分で寝返りも出来ない人に多いよね。だからベッド上で体を動かす事が出来ない時点で、褥瘡の、いわゆる床ずれのリスクがあると考えるのが大切だね。
この人達、岩水や内海青葉、高橋美奈といったかつての先輩たちは主任と肩を並べていたから先の景色が見えるのかもしれない。その背中を追い続けている限り、自分はずっとそのままなのか・・・山吹は一度首を振る。
たとえそうでしても、初期症状に出来るだけ早く気がつく事もまた必要ですね。それが褥瘡の初期症状としての皮膚の赤みか、一時的な赤みなのかはその部分に体重が掛からないようにして、元の皮膚の色に戻るかどうかを確かめる事も出来ます。そして指でその部分を優しく圧迫して、白っぽく変化するかどうかを確認する指押し法ってのもありますね。
その部分がすでに虚血に陥っていて、血が滞っていると赤みが戻るのが非常に遅いから白く見えるんだよね。赤色は毛細血管を流れる血の色って事だからー。
なるほどなぁ!他にもいろいろ応用が聞きそうな便利な技やな!それで赤みが確認された部分に対して除圧をする訳やな!
最も基本的な方法だな。しかしそれは病院や施設で家族以外のサポートがある場合ではあるな。自宅で家族しかいない場合にはかかりつけの病院や地域包括支援といった病院以外での行政のサービスや相談もまた必要だ。基本的に二時間おきの除圧が必要だと言われているから、それを家族だけで行うのは大変だ。褥瘡が出来る時点で介護認定がおりる可能性は高いからな!
腕を組んでいつもの様に岩水は笑う。しかし昔と違って声色は優しい気がする。いくらこの人でも年を取るのだなとフッと山吹は笑みを漏らす。
ほんでほんで!でっかい岩水さんは山吹さんの先輩やねんやろ?昔の山吹さんはどないやったん?
それはオレも聞きたいなぁ!今より幼かった?可愛かった?
お前ら・・・
そうだなぁ。鉄面皮で感情を表に表さない様に頑張っていたが周りからは丸分かりだったな。それに不器用で感情を表に出さずに随分と皮肉屋だったな。まぁ今は大分丸くなった様だがな・・・
あまり変わらへんやん。と坪井はポツリと漏らす。沢尻はクスクスと笑みを漏らす。少しでも僕は変われたのだろうか。山吹はもう一度ため息を吐いた。
山吹薫の覚え書 44
・褥瘡は体の一部分に長時間圧がかかり、虚血を起こして生じる。
・初期では圧迫された部分の赤みが消失するか、一度優しく指で押してそれが消失するかを確かめる。
・僕は何か変わったのだろうか?
【〜目次〜】
『内科で働くセラピストのお話も随分と進んできました。今まで此処でどんなことを学び、どんな事を感じ、そしてどんなお話を紡いできたのか。本編を更に楽しむためにどうぞ。
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